宮野、宗教団体潜入編

読み物

2024年夏、ヴァンクーバー某所、ある建物の中。

そこに集まったのは100人に満たない者たち。

彼らは2種類の人間に分けられる。

1つは神を信じ、熱心に祈りを捧げる敬虔な信徒。

そしてもう1つは食うに困り、明日への希望が見いだせない貧者である。

ワールドコンペティターの座を追われ、カナダへの放浪の旅に出た宮野は後者の人間である。

世界全体が物価高に襲われる中、ヴァンクーバーはそのあおりを最も受けている都市と言っても過言ではない。家賃は最も安くとも3000カナダドル、すべてのものの値段が日本の2.5倍程度はする。そんな厳しい生活の助けとなるのが、教会や慈善団体が行っているフードバンクのような活動である。IDを登録することによって誰でもパンやシリアル、加工肉や野菜、はては幼児用のおむつやペットフードまで、生活に必要なものを無料で受け取ることができる。

宮野は叔母に連れられ荷物持ちとして2週間~ひと月に一度程度のペースでそういった場所に足を運んでいた。

その日も叔母に頼まれ、食べ物をもらいに行くはずだった。叔母の運転する車の助手席に乗り、目的地へとたどり着く。しかし、いつもと景色が違う。定期的に訪れていた教会は閑静な住宅街に位置するが、その時自分がいた場所は町中で、目の前の建物は3階建てのコンクリートビルであった。

建物の前にはスーツを着た職員の男性がおり、その人がIDや名前の確認を行っているようだった。宮野たちは先に来ていた人々が作る列の最後尾に並んだ後、つつがなく名前の確認を行い建物の中に入るように促された。他のフードバンクを行っている施設でも同様のことが行われていたため、ここまでに違和感を覚えることはなかった。

扉を開けるとまず最初に目に入ってくるのは所狭しと並べられた椅子、そしてそれに座る4,50人の人々であった。次に目に入るのは部屋の奥に位置するステージと、その上から吊るされていた横断幕のようなもであった。横断幕には【The Holy Oil of Mount Sinai】と書かれていた。

一足先に受付を終え建物に入った叔母を見つけることができなかった宮野は一人で座ることに決め、前から5列目の席に着席した。右隣には70代の白人の老婆が座っており、手には聖書を携えていた。席に着いて少し経ったころに左側の席に中国人の中年男性が座った。

通常のフードバンクでは受付で名前の確認後すぐに食料の受け渡しになるため、この時点ですでにイレギュラーのさなかではあったが、横断幕と同じ文字が建物の外にも書かれていた記憶があり、この団体の名前であることが推測できたので冷静に検索をかけた。

団体の名前を日本語に訳すとすれば【シナイ山の聖なる油】といったところか。『旧約聖書』の出エジプト記において、モーセが主から十戒を授かった架空の山をシナイ山と呼び、その山に生えているオリーブの木からとれるオリーブオイルを聖なる油としてありがたがる団体のようだ。

そうこうしているうちにこの団体のリーダーのような男がステージに登壇した。

男は壮年のガッチリした体格の白人で、黒いスーツを着て手にはマイクを携えていた。男の後ろには女性のスタッフ達が控えており、Youtubeのウザい脱毛サロンの広告に出てくる女性が着ているような制服と寸分違わないものを全員が身に纏っていたため、警戒のレベルを一段階引き上げた。

リーダーの男の話は当たり障りのない挨拶から始まり、団体の説明のようなことをしていた。男の語り口に教会の神父というよりかは、ビジネスマンや情報商材を売りつける中田○彦というような印象を覚え、警戒レベルをもう一段階あげる。

十分も経たないうちにリーダーの話が終わると、1番前の席に座っていた西アジア系、おそらくインド人の中年男性が立ち上がりステージに登壇した。リーダーの説明によるとそのインド人は熱心な信徒で、祈りによって救われた経験があるそうだ。

インド人はリーダーからマイクを手渡されると徐に奇跡の体験について語り出した。

その内容はこうだ。インド人の男には娘がおり、ある時彼女が目の病気にかかり失明寸前までいってしまった。病院にかかるもののあまり効果はなく、医者からは諦めるように言われる。途方に暮れた男は神に縋り、祈りを捧げたところ奇跡が起きて娘の病気が治った。

インド人が話し終えるとリーダーが再び前に出てきてマイクを受け取り、インド人に礼を言った後、彼を降壇させた。マイクを持っていないほうの手には先ほどまではなかった聖書を携えていた。

リーダーが話し始める。どうやらこれからこの場にいる皆で祈りを捧げるらしい。

聖書の何ページ目かを開いたリーダーはゆっくりと、確かな口調で朗読を始める。宮野の右隣の老婆も同じように聖書を開き、リーダーの発する言葉に追随するようにぶつぶつと何かを話している。

しばらくするといわゆるサビの部分に入ったのだろうか、リーダーの口調が力強く、声も大きくなる。それに共鳴するように隣の老婆は「YES!!!」とか「TRUE!!!!!」などと共感の声をはっきりと出すようになった。

それに比例して宮野の家に帰りたいゲージはどんどんと上昇していく。

これから本サビというところでリーダーが集団に向けて語り掛ける。どうやらここからは椅子から立ってステージの前まで来て一緒に祈って欲しい、そう言っているようであった。

次々と立ち上がり、ぞろぞろとステージに押し寄せる人々。20人かそこらがステージに殺到し、それと同じ程度かそれより少し多いくらいの人数は座ったままだった。立ち上がって祈りに行ったものの多くは白人や黒人、西アジア系で、そこには当然宮野の隣に座っていた老婆も含まれていた。あたりを見回し、今なお座り続けている者たちを見るとそのほとんどが中国人であった。

そうこうしているうちに祈りが再開される。しかし今回はさっきまでとは様子が異なる。

今まで後ろに控えていた女性のスタッフたちが手に小瓶のようなものを持って祈りを行う信徒たちに近づいて行くのだ。

一人の女性スタッフが祈りを行う集団の中にいた黒人男性にそっと声をかける。

そして次の瞬間、瓶の中身を黒人にかけた。

宮野は目を見開く。

しかしここで驚くのは早急であった。

女性スタッフは黒人の頭に手をかざしながら「GET LOST!!!!(出ていけ)」と叫びだしたのである。

ハンドパワー!!!?????

宮野の目はアメリカのカートゥーンに出てくるキャラクターのように外に飛び出してしまっていた。

困惑している宮野をよそに女性スタッフたちは次々と信徒たちに液体をかけると、同じようにハンドパワーを用いて何かを体から追い出そうとしていた。

宮野は先ほどまで家に帰りたがっていたにもかかわらず、この時には怖いもの見たさの好奇心でいっぱいであった。

もしかしたら座っている自分たちのほうにも何かしらのアプローチをかけてくるのではないか?

そうやって戦々恐々としながら様子を伺っていると、誰かが宮野の肩を後ろから2回叩く。

後ろを振りかえってみるとそこには叔母がいた。叔母はただ一言「帰ろう」と言った。

後ろ髪をひかれる思いではあったが、これ以上ここにいるとやばいことに巻き込まれそうな気もしたので大人しく二人で建物から出る。

出口の戸を開けると涼しい風と眩しい太陽に晒され、あの部屋のすさまじい熱気と異様さをありありと感じた。

戸を出てすぐそばのところには受付を行っていた男性スタッフがおり、彼が叔母に話しかけた。どうやらほしい食べ物の種類を聞いているらしい。

食べ物がもらえることがわかり、徒労に終わることがなくなり一安心していたのも束の間、衝撃の事実が告げられる。

「別に中に入る意味ないっす」

段ボールいっぱいの食料を一人一つ受け取り帰路につく。

帰りの車の中はなんだかとても気まずかった。

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